□ 『彼』のはなし □

 

「それじゃ困るんだ!!」

 少し甲高く耳に響く彼の声。あいかわらず勝手なことばかり言う。

 驚くでも怒るもなく、私は『彼』の存在を受け入れた。

 『魂の祈り』を用いた彼は、その存在を失ったはずだった。

 しかし、その時私はそこに紛れもなく『彼』を感じたのだ。

 

 もしかしたら、と、思う。

 同じような例がある。以前話しに出た『神の眼』の話だ。

 人間の魔術師に囚われ仮初めの姿に閉じこめられた『神の眼』は、その複製を取られながらも魔術師の手から逃げ延びた。そこで天に還ればよかったものを、放浪の末人間と恋に落ち、決定的な罪を犯した。

 己の記憶を保持したまま人間に生まれ変わる、そんなだいそれた願いを『魂の祈り』を用いて願ったのだ。叶えられることがないと思われたその矛盾に満ちた願いは、意外にも叶った。堕天したものの『神の眼』の魂は失われなかった。

 二律背反とその調和の女神は矛盾すら愛されるのか。

 女神の考えは私には判らない。

 だが、なんとなく…こう思うのだ。矛盾を持ってでもそこに存在しようとする意志を、強靱さを、女神が尊ばれた故、なのではないかと。

 

 だとしたら。

 敬虔な神の僕であり『魂の祈り』の内容を知っていたであろう『彼』が、あの祈りの中…無意識にでも、ほんの少しでも、自らが失われることを諦めきれず、自らの現存を願っていたとしたら。

 女神はそれを、むしろ喜ばれるのではないかと思う。そして『彼』の心底の願いを叶えようとカインの中に彼を残されたと考えるのは、想像の飛躍だろうか。

 もちろんアレは『彼』の記憶に浸食されたカインの心が作り出したゆがみであると考えるのがまっとうな判断だろう。

 だが『彼』であって欲しいと願う。

 罪悪感から…というか、あのまま死なれては怒りのやり場がないからというか…そんな感傷、そうかもしれない。でも。

 もう一度、『彼』にあえたら。

 私自身などチラとも見ずに、私を『天使』よばわりした『彼』を、いっぺんぎゃふんと言わせてやりたい。世界が救われたときは、『天使』として『救世の英雄』に相応の奇蹟を差し上げてやる!

 別にもう一度あいたいワケじゃない。

 

 あえたら、の話。

 

 

(2007年1月10日書き下ろし)

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