古代のアンデス文明およびマヤ文明を研究する同好会

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ペルー旅行の概要


■アンデス文明研究会10周年記念旅行 “ペルー遺跡探訪の旅”
Aコース(11日間): 2004年9月2日(木)〜9月12日(日)
Bコース(16日間): 2004年9月2日(木)〜9月17日(金)


 このツアーは、研究会の顧問である関雄二先生によって周到に計画された、ペルー北部の山岳地帯と北海岸に点在する遺跡の中から、形成期から地方王国期まで年代順に選択し、山と海岸文化の接触、交流を見ることをテーマにしたものです。

 大学の夏休み期間を利用して、ちょうどペルーに滞在中の東大調査団の大貫良夫(東大名誉教授)、加藤泰建(埼玉大教授)、関雄二(民族学博物館助教授)各先生や芝田幸一郎さん(東京大学大学院博士課程)が、手分けして現地解説をして下さるという、アンデス文明研究会ならではの大変内容の濃い探訪となりました。

 9月2日に成田を出発、アトランタ乗り換えで約23時間かかり、同日深夜リマに到着。翌3日からさっそくリマ近郊に、中央海岸地方の宗教の中心地であったパチャカマック神殿を訪れました。帰途国立人類・考古学博物館へ寸暇を惜しんで訪れ、その後天野博物館で天野美代子館長、鳥居恵美子さんに迎えられ、阪根博天野財団事務局長の名解説で、チャンカイ谷からの土器や織物などの収蔵品を丹念にみました。

 4日早朝にリマを発ち、北部のカハマルカへ。関先生の解説で、市内に残る最後のインカ皇帝幽閉の部屋や市場などを見て、形成期の祭祀建造物の跡であるワカロマ遺跡、ヴェンタニーリャ・デ・オトゥスコの墓地を回り、インカ皇帝の湯治場だったバーニョ・デル・インカに投宿、温泉風呂を満喫しました。その夜は、たまたま関先生の誕生パーティが町であり、私たちも地元の人たちと大いに踊り楽しみました。


 5日は、カハマルカ盆地からさらに山へ登り、ライソン遺跡と水路遺跡のあるクンベマーヨへ。わずかな落差で峠を越えて水を流す潅漑技術は、測量器具も岩盤をくり貫く土木機械もない古代に、いったいどうやって造ったのでしょうか。










 6日はいよいよ、東大調査団が1988年以来発掘を続けてきたクントゥルワシ遺跡(コンドルの館)を訪れる日でした。ヘケテペケ川の上流、海抜2,200メートルにあるアメリカ大陸最古の金細工が発見された神殿建築は、すでに日頃の講座で何度も聞いていますが、実際に発掘のリーダーを務めた大貫先生の解説を聞きながら、基壇と階段、石像などを目の当たりにみると、実感が湧きます。東大調査団が協力し、村人が運営するクントゥルワシ博物館には14人面飾り黄金の冠や首飾りなどの出土品がきちんと展示されています。私たちは、村の博物館維持の一助にと寄付をしました。




 7日からは加藤先生とともに海岸へ向かい、発掘調査中のラス・ワカスの遺跡現場を訪れ、また北部ペルーで最大規模の王墓が発見されたシパン遺跡とその発掘品を巧みに展示したシパン博物館を見学しました。大量の日干しレンガで築かれた2つの巨大なピラミッド型神殿にあったシパン王の墓室からの大量の金銀製品、土器などの副葬品には圧倒されます。シパンの後、ランバイェケ谷に起こったシカン文明は、アメリカ南イリノイ大学の島田泉先生による発掘で知られていますが、その金銀の発掘品が訪れたシカン博物館で見ることが出来ました。

 巨大な日干しレンガの大ピラミッドがあるトゥクメ遺跡は、その規模の大きさに驚かされました。ピラミッドの頂上からの眺めは格別で、ここで夕日を見たらさぞ素晴らしいだろうと思います。しかし、たまたま加藤先生が懇意にしていた文化庁の人がいて、国宝級の壁画を垣間見せて頂いたエル・ブルッホ遺跡も、また強い印象を残しました。崩れかけている日干しレンガの外壁を外して発掘されて間もない壁面には、彩色も鮮やかな壁画があり、思わず息を呑みました。

 ペルー第3の都市トルヒーヨ近郊のチャンチャンの遺跡は、モチェ谷の入り口にあるチムー帝国の首都で、土壁が立ち並ぶ砂漠の都市でした。都市の中心部は宮殿があり、内部は幾重にも壁があって迷路のような構造で、北部ペルーを席巻した大帝国の首都であることを実感させるスケールでした。


 10日に、トルヒーヨまでで帰国するAグループの9名を見送り、7名は加藤先生と近郊にある太陽のワカ、月のワカに向かいました。モチェ期の月のワカではジャガー、ヘビ、人、クモなどが浮き彫りにされている、大規模な色鮮やかな壁画が見事な神殿跡で、現在修復中の作業を見ましたが、壁に付いた土を丁寧に取り除き、色止めをするなど細かな仕事をしていました。先生方の同行があってこそ、こういった発掘や修復の現場に入ってみる機会が得られたのは、今回の旅の大きな特徴です。昼食後カハマルカに戻られる加藤先生とは別れ、セロ・ブランコ遺跡で発掘中の芝田幸一郎さんと合流、その日の宿泊地カスマに行く途中の海岸で沈む夕日と虹を見たのは今も強く印象に残りました。


 翌11日はまずセチン博物館を見学した後に本物をみることになりました。セチンは形成期の大きな祭祀遺跡で、大きな石に人物−それも捕虜を殺す場面などかなり残虐な場面が彫られていますが、どこかユーモラスな感じもします。ここから海岸低地を離れ、アンデス高地のワラスまで6時間あまりのバスの旅となります。4,200メートルのプンタヤカンを越え、氷河の頂きをもつペルー最高峰のワスカランを見ながら、この日はワラス泊まりです。


 12日は、1974年の大地震で氷河がダム湖に崩れて発生した泥流ですべて埋まったユンカイの村を通り、ワスカラン国立公園に向かいました。氷河から溶け出した真っ青な水を湛えた湖など、この辺りの景観はすばらしいものです。この先にヤンガヌーコの遺跡があるのですが、東海大学の今年の調査は昨日終了したとのことで、見に行かれなかったのは残念でした。ワリ期の大石と小石がしっかりと積まれた三階建のウィルカワインと周囲を石積みで囲まれ、戦いに使う投石用の小石がたくさん出たイチックワイン遺跡は、大地震の時にも天井の石に亀裂が入っただけで、壁は何ともなかったそうです。


 13日は、後半のハイライト、世界遺産であるチャビン・デ・ワンタル行きです。通らねばならぬトンネルは時間制で一方通行、周囲の雪山を見ながら2時間あまりも待ってわずか2,3分で通過しました。形成期の一大祭祀遺跡であるチャビン・デ・ワンタルは、地下の迷路のような道を進むとそこにペルー考古学で最も名高い4mのランソン像が立っています。採光や通風の小窓があちこちにあり、中の空気はよどんでいません。


 3,200メートルのチャビン・デ・ワンタルからいよいよリマに向かう14日は、昨日のトンネルを7時前に通り抜けるために、南十字星を仰ぎつつ5時半の出発。4,500メートルの峠はとにかく寒く、手持ちの衣類をすべて着込みました。やっと海岸の低地に降り、海岸砂漠のパンアメリカン道路を一路リマへ。海からの霧が砂漠を覆い、その湿気で砂に埋もれた草花の種が一斉に花開くロマスという不思議な現象を、この時初めて見ることができ、全員大感激でした。


 15日はペルーを離れる日。リマの市内見学をし、旺盛な好奇心をもつ私たちは最後まで旧市街にある中央準備銀行の博物館を訪ね、地下の金庫室に収められたナスカ、モチーカ、チャンカイなどの見事な土器のコレクションや、植民地時代の貨幣などを見て回りました。趣きのあるリマの歴史地区と、新市街の海岸の崖際にできた洒落たショッピング・モールの対比など、ペルー最後の日を楽しみ、帰途につきました。


 今回の北部の遺跡探訪の旅は、いつも定例講座の講師をして頂いている先生方の素晴らしい企画と行き届いた手配、懇切な解説があり、また親子2代にわたって東大の発掘チームのお世話をしているウーゴ・ツダさんの、本当に素晴らしいお心遣いもあって、この上なく充実したものになりました。関係の皆さまには、あらためて感謝申し上げます。(沢田、武石、谷田、金井記。まとめ・写真−桜井)



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